FOLKLOR



今父親に見せているのは、歌口の見事な一本のすばらしいケーナだ。
老父は、息子の作品をつくづくと見る。イスマーコも、自分の席から眺める。
ケーナが、自分にとって、部落にとって、、山にとって持つ意味を、
彼はよく知っている。
すべての人々は、星ばかりが聞き分ける彼らの問いを、園と息を、ケーナに託すのだ。
エル・チャンゴは、イスマーコの注視に気づいて、笛を彼に渡す。
「あんたも、これは達者だったなあ。さあ、ひとつ、音を出してみなさいよ。逸物のケーナだから」
「嫌・・・・・もう長いことふかねえもの}

しかしエル・チャンゴは言い張り、谷ものは笛を口に持っていく。
ゆっくりと指をあてがう。
かなりの間ためらった後、いっぱいに息を吸って、柔らかく管をを吹きはじめる。
一吹き、岩場を吹く風のような、夜のもとのひとつの祈りのようなそれが、小屋の中に舞い立つ。
長く、もの憂い音符が、古い痛みの、永久の希みの、漠とした夢の調べを巻き広げていく。
ヤラビの魔法が、人々の苦悩に剣を突き刺す。
音楽は壁と天井をさまよい、トーラ薪の目を刺す煙に口づけし、戸口をうかがい、
夜へと身を投げ、闇に守られて、風に身をゆだねる。
まもなく崖が彼女をはばむ。
彼女はたちまち輪を描きながら崖を登り、氷った頂に立ち、無限のをさして、
インディオの空の最も孤独な星をさして逃げて行く。

ケーナはいつも悲しかった。
ケチャアの農夫は、忘れるための呪文としてこれを吹いた。
村人らは、ケーナの調べで、太陽神の死をとむらった。
アンデスのすべての民は、その重荷とその夢を、この芦笛にゆだねたのだ。
これを吹いて魂を軽め、苦悩を洗い流し、心痛を焼き去ったのだ。

ケーナの歌は、土の息子に残された、たった一つの宝である。
       
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アタウアルパ・ユパンキ著、浜田滋郎訳  「インディオの道」 より一部抜粋 


フォルクローレとは、上記のユパンキの書いた情景そのものであります。
英語やドイツ語で「folklore」と言っていますが、語源はスペイン語らしいです。
故郷、心の故郷、人々なんて意味ですが、今では、心の遺産とでもいう表現が似合う言葉ですよね。

なんといても、それに代表される曲は、サイモン&ガーファンクルの
「コンドルは飛んでい行く」でしょうね。
この曲を聴けば、ああーあの音楽と納得していただけるのでは無いでしょうか?
それと、「花祭り」
これもあまりに有名な曲ですよね。



「インディオの道」 より

インディオの道
石の散らばるコージャの小道

星々と谷をむすぶ
インディオの道

私の古い種族が
南から北へと歩んだ道
-それはパチャママが山の奥へ
影とかくれる前のことだ・・

山に歌い
川に泣き
インディオの悩みは夜にいや増す
インディオの道よ
日と月と
この私の歌fだ
おまえの石にくちづけたのは

山なみの夜
芦笛が深い郷愁に泣く
道にはわかる
インディオの笛に呼ぶ乙女は誰、と

山に立ちのぼる
いたましい山唄の声
道はなげく